梶井(基次郎)の狂気に近づこうと思った

わたしにはそれほどの狂気はなかったのだった
かわりに女々しさが
鎌首をもたげるのであった
僕は悔やみ
うらみ
しかしそれを
心地よい堕落とも考えて楽しむのであった
これがいかん
これこそが
醜態の継続につながる
笑いながら年を取っていくだけで
作品は遠くなるだけ
いっぺん
全部捨てないといけないのかもしれぬ
そのために
パソコンが壊れたのかもしれぬ
何もないところからの再構成
創造
あやふやな混沌から
文学の土塊を引きずり出さねば
ならぬのかもしれぬ