2010-11-28から1日間の記事一覧

またパソコンが壊れた

ハードディスクが吹っ飛んだ 全部消滅した 一からやり直しだ

梶井(基次郎)の狂気に近づこうと思った

わたしにはそれほどの狂気はなかったのだった かわりに女々しさが 鎌首をもたげるのであった 僕は悔やみ うらみ しかしそれを 心地よい堕落とも考えて楽しむのであった これがいかん これこそが 醜態の継続につながる 笑いながら年を取っていくだけで 作品は…

長塚節と堀辰雄をはずして日本文学を考えてはいけない

日本の農村作家

長塚節が茨城県で、宮沢賢治が岩手県だ。 どちらも37歳で死んだのだ。 長塚節は農村リアリズムに行ったのに対して宮沢賢治は農村シュールリアリスムに行ったと考えていいのだろうか? しかしシュールリアリスムといったらおかしい気がする。 明らかに幻想…

パラノーマルとスーパーナチュラルの違いがよくわからん

大野晋の本を読むとわかった気になって偉くなった気になる

こういう本は経験上、大体危険な要素も併せ持つ。 「こうこうこうなんだよね」って他人に言ったら、門外漢の人に対しては尊敬されるかもしれないが、その道の人に対しては「それは大野さんの説じゃないですかー」って言われそうだ。 そしたらなんとなく恥ず…

古代における文盲の人間たちをどう扱うか

かれらが文字を解しなかったからといって文学の世界から退場させてしまっていいのかどうか。 文字主体ではなく文学主体に考えた場合、かれらが文学的な主体性を持って文字ならざる文字によってなんらかの表現をしえたと思うべきではないか。 さかのぼって古…

都会の穏やかな風

気づくと都会の風は凪いでいた 遊歩道上で裸身を見せる猫と 走り過ぎようとする初老男性とで 固められた石はそよがぬ

さかなのめ

さかなのめは ぼくがみつめてもみじろぎもしなかった 目のなかのいのちはもうなくて 身のなかの白い臓もすぐになくなるだろう