古代における文盲の人間たちをどう扱うか

かれらが文字を解しなかったからといって文学の世界から退場させてしまっていいのかどうか。
文字主体ではなく文学主体に考えた場合、かれらが文学的な主体性を持って文字ならざる文字によってなんらかの表現をしえたと思うべきではないか。
さかのぼって古代民衆文学を作らねばならん。
ならんが、力が及ばないので手も足も出ない。
しかし元寇における九州北部の民衆について何かものしたい気もする。
だがそれをそのまま知名や人名や事件でもって押し出すのではなく、オブラートに別のものをつつんで類似性でもって寓話的な話を書かねばならぬ。
しかし難しそうだ。
だが難しいかどうかやってもないのに決め付けるのはおかしい。
とにもかくにも前進せねばならぬ。