miss

英語でmissは他動詞である。
受身にもならない。
missは働きかける動詞である。
わたしは、missを、「寂しがるだろう。特に○○のことは」と訳出したら、失笑をかってしまった。
「さびしくなるだろう。特に○○に会えないことは残念だ」というのが模範とされる訳であった。
だが、どうも、それには納得がいかないのである。
寂しがる、というのが明らかにおかしい、理由がわからないがまっとうな日本語母語者として直感的に間違っていることが分かる、というのが列席した皆さんの意見であった。
○○がる、というのは、強がる、可愛がる、気の毒がる、というのが今思いつく3がるである。
わたしが、寂しがる、とやったのは、他に働きかけるニュアンスを出したかったからであって、寂しい、とするのでは、その働きかけが出ないと思ったのである。
考えてみれば、日本語における感情とは、他に働きかけるものになるという場合でも、必ず内省内向して内に向けられるものとなる。
外に向けて感情を発することは、あまり想定されていない。
日本語において、意識の流れはあるにしても、感情の流れはないのかもしれないのである。
個々の感情が入れ乱れるというより、個から氾濫しない感情というのが感情のありかたかもしれず、その点から言って、感情的個人主義、というのが日本の個人主義のありかたかもしれぬ。