「がる」と「ぶる」

強がる、痛がる、気の毒がる、粋がる、寒がる

あらぶる、弱ぶる、すこぶる

ちょっとわからない。なぜ「弱がる」はだめなのだろう?
弱く見せる、というのがだめなのか。
弱さの自己認識自体がだめなのだろうか?
それとも、弱さを認識することはいいが、弱さの程度を認識することがだめなのだろうか?
「すこぶる」というのは、「すこやかぶる」の略だろうか?
すこやか、というのはプラスのことば、強い、というのもプラスのことば。
マイナスのことばは、「がる」ことができない?
ところが自己認識ではないマイナスのことばは、「がる」ことができる。寒がれる、痛がれる。
マイナスの自己認識に関する程度のことについては、「がれ」ない。
こういう仮説を立てることにした。
「ぶる」のは、基本的に、いいことではない。
ところで、「弱がりいっちゃってさ」と言うことは考えられない。
「強がりいっちゃってさ」は妥当だと思えるのに、である。
巷では昨今、「ぶれない」のがいいこととされるが、「ぶれる」ことがどういうことかわからないし、その前段階であると思われる「ぶる」のもどういうことかはっきりとはわからない。
「ぶれる」ことは、同一性を失うことなのだろうか?
ただ、同一性の対象が何かがわからない。
何かがわからないことに対してぶれたかどうか判断するのは、判断というより、審判の話になってくる。