get wind of  「かぎつける」

「かぎつける」ということばは、おそらく100年前にはなかったとおもう。(ちゃんと調べたわけではないが)
おそらく探偵小説翻訳の過程で作られた翻訳造語だろう。
アメリカとの同盟関係の中で、英語から日本語への翻訳がどのように日本語を変化させていったかということを考えなくてはいかん。

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そもそも「嗅ぐ」というのが、どうもおかしい。
日本語的じゃない。
五感に関して逐一見ていくと・・・
目は「見る」
手は「さわる」
耳は「聞く」 (「聞こえる」は受身で、能動なら「聞く」・・・)(耳は受身器官である)
口は「食べる」
鼻は「嗅ぐ」 (「嗅ごえる」が受身としてあるべきなのにない・・・? つまり「嗅ぐ」は受身がなく能動しかない)

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まだ検討段階だから詳しくはいえないが、「かぐ」は明らかにおかしい。

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このことが、昨今の無臭文化に通じている気がする。
個人主義を発揮したいという欲望があらわれるときに、「嗅ぐ」ことが受身行為であるにもかかわらず言語上受身が不可能になっているので、
そのにおいがいやなものだった場合、そのいやさ加減が、言語上は能動のみが可能な「嗅ぐ」行為の敗北になるということで増幅されて、今度はにおいを抹殺したいということにつながる。
というと考えすぎか・・・

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そう考えると、日本語には受身を容易しないとだめだということになる。
「においがする」が「かぐ」の受身だと言われそうだが、「においがする」は、「においがにおいがする」だけで、「かぐ」の受身にはならない。

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だからにおいが悪いんだという話にもなるのカモ・・・