切腹と資本主義
どれだけ失敗しても
絶対に自分たちは大丈夫と
思う人たちが出てきてしまうのが
「資本主義」である
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切腹は
どこまで出世しようと
どれだけ成功しようと
失敗すれば死ぬという
緊張感を生むための
方策であったのかもしれぬ
むかしは切腹のおかげで
泰平の世であっても
なんとかだらけずに
ものごとが機能していたのかもしれぬ
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「資本主義」においては
上層部の責任が重ければ重いほど
懲罰を下請けに出せる度合いが
高まるのかもしれぬ
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もっとも本場の「資本主義」は
市民の闘争の場であり
血と汗と涙がにじんでいる
日本の「資本主義」は
どこか切迫感がない
上層部が自分たちを中心とした同心の球を中心として
できるだけ利益と安全を求めることに執心していて
そこにはやはり
遠大なところまでの包括的なリスク意識がなく
球の先端くらいにまでしか
意識はいかないのだ
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この球の問題は
中央にいけばいくほど
安全性が増すところである
しかも
中心に
問題を引き起こさない性質の人間を
据える事が多い
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これは一種の物忌みであって
問題に対応する
態勢ではない