情報系上部構造

有力大学が上部構造だとして、
情報インフラの世界で有力大学がかなり強いとして、
日本の社会構造を固定化させるために差別を利用しているとする。
差別において上部構造内では差別が起こらないようにする。
だが外ではかなりの差別が起こる。
上部構造内では、馬鹿なことをやってるなあという目で外の差別を見る。
ところが、上部構造を維持している要は差別構造であるのだ。
しかし、それに無自覚であるばかりか、うまくやっていると思っているのが上部構造だ。
上部構造の条件とは、そこでは差別が起こらないということになっているようである。
上部構造は、被差別民をある程度は受け入れる。
それによって、上部構造内では差別がないことを証明したいからだ。
ところが、ある程度受け入れたらあとの被差別民はすべて弾き飛ばして下部構造に落とし込む。
だからこそ、被差別民は躍起になって上部構造に取り入ろうとする。
そのような上部構造が、トップ層を被差別民にするのは意外なことではない。
体制に対する意趣返しをするには、トップ層が被差別民であったほうが都合がよい。(不思議な話だが、情報系上部構造は自分たちをエリートに設定せず、虐げられる側に起きたがる。しかしそれは「国民」の側といいながら、「国民」の位置とはほとんど無関係であり、「国民」から近くも遠くもないようである)
少し問題だと思われるのは、このような上部構造のありようには、感情がまったくない。「構造への理解」だけがあるような気がする。
ところが、本当に理解できているかどうかはあやしい。
分かった気になっているだけかもしれない。
しかも、分かった気になっている上部構造の上層部は、わかってないかもしれないという可能性について顧慮しないだろう。
それでついには、「わかってないはずがない」ということになる。
秀才のなりそこねたちが「わかってないはずがない」と言い出したら、かなり悪いことが起こるという気がする。
発狂の形態として、感情を盛んに発露していた場合、ふとした拍子に目が覚める可能性もあろうが、冷静に発狂していた場合にはいつまでも目が覚めないことがありうる。