「死因の疑問」についてのギモン その1

・登山家だった地方資産家の子息が雪中登山をして遭難死したとして、それは何人で登山したのか。勝手に一人で誰にも告げず登山したなら、遭難したってわかるわけがない。誰かに告げてから一人で登山したとしたら、危なくないルートを通ると告げていたに違いないが、現地に行ってわざわざ危ないほうに行ったから遭難したのか、そうだとしたらなぜわざわざ危ないほうに行ったのか、そのきっかけとなった事件なり心の動きは何なのか。まったくはっきりしない。遭難死した必然性が見えてこない。交通事故のような感じで遭難死が扱われている。「東北地方の山に雪中登山」というのも漠然としている。東北といっても広い。「東京地方」でもそうだが、具体的地名がないと漠然としすぎる。ところが東京京都奈良などの有名どころ以外の具体的地名を出すとやはりまずい部分もある。そこが難しい。土着小説の難しさ。ユートピア的田舎小説ならなんとかできるかもしれないが、土着小説となると難しい。この場合は、「東京地方」をやめて具体的地名を出す。「東北地方」をやめて具体的な山名を出して地方名は出さない。これがよさそうである。
・清という名前だからからだが清かったのか。封建的な女中奉公だとすれば、家のものの処女を守らせていいところに嫁がせるというものがよき女主人のありようだろう。しかしここ「三上家」では、夫が国会議員である。商家であれば女中の結婚まで世話するが、武家はどうだったのか。武家の場合は、おおよその結婚相手は決まっていて、修身のために武家に奉公して格を高めておくということだろうか。さらに国会議員の家ならどうなるのか。どうにしろ、清の親が出てこないとおかしい。親の決定で国会議員の家に女中奉公してるはずである。もしそうでないなら、どこで女中の職にありついてかの話が出てこないのはおかしい。(「三上家」なのは、三下の反対ということなのかもしれぬ)
・清が吹雪の日に溝のようなところに滑り落ちて死んだということが、「幻想」にとらわれてということなら、内心的心中であると思われるが、それについての説明がない。心の動きがさっぱりわからない。衝動的行為にいたった原因が杉山の乱暴だということは言えそうだが、杉山の側の行動要因がわからない。国会議員の家で粗相をしたら大変なことになるとわからなかったのか。酔っていたからなのか。だから三千円を口止めに渡したのか。しかし酔っていて、清が「旦那様」かと思って忍従したというのに清が処女のままでいられたなら、なぜ杉山は中途半端なことしかできなかったのか。それほどに酔っていたということか。しかし、国会議員の家でそれほど酔うまで飲むだろうか。万一の失敗を恐れて飲酒量を抑制するのではないか。
・清の「郷里」がどこかさっぱりわからない。「田舎」としか出てこない。
・「三上夫人」は、「わたくし自身の娘が、もしもそのような目に逢ったとしたら、どう致しましょう」などと個人主義的なことを言いながら、「清さんはよその家の大事な娘さんです。それをわたくしの家に預りながら、とんでもないことになってしまったのです」と言っている。自分のことは自分のことと思いながら、よそのことは家のことと思っている。家と個人主義で意識がねじれている。ところが、自分のことを個人主義的に思うのは正しい。他人のことを個人主義的には思えずに家のことと思うところが、変なところである。
・とりあえず今のところはこれくらい。