アメリカの商標名が一般名詞になること

kleenex =ティッシュ
dumpster =ゴミ箱
どちらも商標名なのだ。
これを一般名詞にしてしまって、ティッシュ全般をあらわしたり、ゴミ箱全体をあらわしたりするのは、資本主義における公正さからしてよくないのではないかと一見思われる。
自由競争を阻害するのではないかと。
しかし、自由競争の結果kleenexなりdumpsterなりが支配的になったので、別にいいだろうという話だろう。
もし現在の競争の結果、状況が変わればそれに応じて言語も変わればいいということになる。

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日本ではそうはならない。
なぜか。
日本においては、一度支配的になったものは、いつかそれが支配的でなくなったとしても変えられなくなる。
言い換えれば、一度支配的になるとそれが支配的でなくなることは許されない。
なぜそうなのかというと、支配するものと支配されるものの関係が、民主主義のそれとは違った部分が大きいからであろう。
支配するものは究極的に支配するのではなく、支配する係をやっているのだ。
係に求められるのは、従順さと正確さと目こぼしのなさであろう。
新しいものを見ることは、係には全く求められていない。
ここが違うから、逆に法律的枝葉末節において執拗に厳密にこだわることにもなるのであろう。
「この法律が正しい」と言った次の瞬間にも世論は動いていてその法律がやがて廃止になる可能性は常にあるはずなのである。ところが日本ではそうとは夢にも思われない。
世論は激変しないと思われていて、ほとんど変化しないとすら思われている。
変化したとしても、長い年月がかけて氷山が解けるように変化するはずだと。
変遷というくらいの話で、変遷は1年や2年の話では絶対にない。
ところが、民主主義というのは恐ろしく流動的なはずなのである。
ところで、ほとんど変化しないと思われるのはなぜかというと、日本が再び侵略するはずがないということと密接に関わっているような気がする。
過去の侵略を心底馬鹿にし、現在がいかに理性的であり、この夢みたいに理想的な状況を変えるようなことは夢にも思ってはいけないのである。
しかしそのような寝ぼけた考えでいていいものかどうか・・・