原子力に対して国民がコミットできないという問題

原子力核兵器にのみ使われていた場合には、国民はまったくコミットできない。
核兵器とはまず軍事機密であり、これについては国民が知りうる情報ではない。軍事機密をひとつ残らず一般公開すれば戦争に負ける。
核兵器を投下するかどうかについて国民投票もしない。
最大権力者の専権によって決められることが多い。
そうなると、核兵器投下という行為に対しては、民主主義国家においては、そのものに正しさはまったくない。
なにかとんでもない凶悪なことを収めるために、他に代わりの手段がないときに限って核兵器投下したということなら、ぎりぎり許されうる。
しかし、そのときはとんでもない凶悪なことであったとしても、時代のうつりかわりによって実はそれはそれほど悪くなかったとわかったときには、まったく核兵器投下は正義を失ってしまう。
ただし、その正義を失うということは、原子力に国民がまったくコミットしないということが継続していた場合のみであろう。
原子力発電というものの重要性はここにおいてある。
電気という必要不可欠なものに原子力をからませることで、国民を原子力と常に共にある状態にできる。
こうすることで、責任を国民に与えることができる。それゆえに、核兵器投下が正当化されうるのであろう。