村上春樹 3 カフカ

彼の作品で出てくる女教師が、26歳なのに、異常に精神的に自立している。
1940年代日本における女教師は、上司や軍部や町内会の意向を強く意識して行動していたはずである。
自立していたはずがない。
これは、現代の東欧における26歳の女教師といったあんばいに思える。
過去の日本におけるある一時を、現代の世界中のどこかにずらして描き出す、ということがあるのかもしれない。
なぜそれが真実味を帯びるかというと、実際に現代の世界のどこかがそうだから、ではないだろうか。
小説中では、森深いその森から、生き物の姿が消えている。
木々の息吹が消えている。
音がしない。
いや、そうじゃないのかも。
イマジネーションの世界だから、、、記憶の世界だから音がしないのか?
ところが、村上春樹世界には音楽はふんだんにあるのである。
音がないのに音楽がある、というところが不思議なのだ。
逆にたどると、音を殺して音楽を生んでいる、とも言える。
原音を生かす、というものが日本の音楽のはずだが・・・
いや、でも私は音楽上の無能力者だからなんともいえぬ。