村上春樹 その5 性交描写

性交描写が、毎度毎度おかしい。
時代背景とか、当人同士の思考とか、そういう繊細なものがどこかに行っているのだ。
あたかも、性交に没頭しているかのような描写なのだ。
ふだんやる気ない登場人物たちが、性交時にだけやる気を出す。
性交の時だけ、一人前のような顔をするのである。
そこがどうも、拍子抜けなのだ。
作家は、性交描写なら誰にでも共通するところだから、いつでも同じ効果を狙えると思っているかのようである。
しかし、性交は時代や人種や環境を飛び越えた共通項ではないと私は考えている。
ほかのことではまどろっこしい登場人物たちが、性交だけはするするっと達成することに、何か社会的要請なり要求なりを感じずにはおれない。

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性交に賛成する。
性交を悪だと考えない。
性交を支配の道具にする。
そういう考えがありそうである。

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村上春樹文学に出てくる性交は、アメリカ人の性交なのである。
小道具を日本風にしたアメリカ人もどきの話。
しかし、アメリカといっても、アメリカは常に変化する。
追随すべきアメリカ、に追いついた姿、がありそうである。
いっときだってアメリカを追い越しはしないだろう。