ラスコーリニコフはあれだけ頭がいいのになぜ経済に疎いのか

自分が金儲けする側に回ればいいではないか
アメリカでは貧民出身の人間がおのれの才覚だけで億万長者になったという話がいくらでもある
なぜラスコーリニコフはそうなれなかったのだろう
金貸しの老女を殺してみたところで、費用効果は非常に小さい
むしろ殺さない方がずっとましである
同じ殺すのだったら、身寄りのない大金もちの老女を探し出してきて殺すべきではないのか
そういう努力をまったくしていないのである
いやそうじゃなくて、下宿の中だけに目が向くくらい近視眼的にならざるをえないくらい精神が追い詰められたのだろうか
しかし、そういうふうに精神が追い詰められること自体が非効率的であり、それはすなわちラスコーリニコフが頭が悪いということの証明にほかならない
結局かれは優秀ではなく、頭が悪いのだ
殺人を逃れるための言い訳がうまいといっても、それは生産的な頭のよさではない
出口のない迷路の中で逃げ回るのがうまいネズミがいたところで、どうせ出口がないのだから無駄にあがいているだけである
それだったら最初から捕まってしまったほうが時間の無駄がなくてよい
だがこういうことかもしれない
ラスコーリニコフは貧困の化身(incarnation)なのである
日本でいうところの貧乏神である
むつかしいのは、貧困は抽象概念であり、貧困を類推させるあらゆるものを並べても貧困であることを証明することはできないのだ
貧困者とはいえない
貧困層とはいえるのだ
貧窮を問うことはできても貧窮を証明することはできないのではないか
貧窮問答歌というのはそういう意味ではよくひねられたタイトルである