職業に貴賤はない

職業に貴賎はないといわれる
しかし職業における対価には大小が大ありである
貴賎の問題をやかましく言う人は対価に大小があることには口をつぐむ
これはどうしたことか
大を求めてみなが蠢きあっている
小は貧困につながる
小であって富裕になるということは
どこかで不労所得を得ているということである
労働をせずに対価を得る
それはもはや対価ではない
労働に対するものとして価が支払われているはずである
ならば何が労働に値するか診断する審判するものが必要である
対価についてもディザーヴするかどうか誰かが審判しないといけない
頭脳労働といわれるが
みんなは毎日頭脳を働かせている
ごく一部のスライな人間たちだけが大きな対価を得る頭脳労働をやっている
頭脳労働とは排除の一様式なのである
しかしそのような排除によって社会が発展するという建前がある
一部の頭脳精鋭たちが社会を動かすのだと
しかしそのような精鋭たちがいてなぜ世界はこのような怨嗟に満ちているのだろう
だがそういう話ではない
たしかに一部ヘイヴンはあるのだ
そのようなヘイヴンをつくるためにやっているとも言える
そこではたすけあいも思いやりも十分すぎるほどある
そのヘイヴンの内部だけ見れば
まあしかしここまで考えて
純粋な意味での共産主義にとどめをさしたのはわが国であると言えなくもないと気づく
その対価はさぞ大きかっただろう