ぴったりくる翻訳に違和感が出てきた

ぴったりくる、というのが大体おもねりというか、
すりよりというか、現状に満足して現状から利益を得ようという態度、から来る
ぴったり感なのである。
現状より一歩先を行く、もしくは、現状より一段上を行く。
そういう翻訳にならねばならぬ。
なぜ現状ではだめか?
現状とは大衆のありようを反映している。
その大衆が正しく機能しているなら大衆を尊重すべきだ。
しかし、日本における大衆はmanipulateされていることが非常に多い。
それを踏まえてしまうと、世の中のありとあらゆるイカサマ性を追認したことになるのである。