エネルギーと精神

現在、エネルギー問題が議論されるとき、精神はまったく問題にならない
なるとしても、メンタルが問題になるのである
非専門家がメンタル面において無知蒙昧から来る勝手な不安感を覚えることが問題視される
産業革命以前の詩や文学においては、エネルギーというともっぱら精神の問題だった気がする
ところが、蒸気がシュポーと鳴り出すと(hiss または chuff)、とたんにエネルギーは精神から切り離された。
精神とは無縁であるエネルギーを扱う会社に、徳や誠実を求めることは筋が通っていないのかもしれぬ。
もし、エネルギーを扱う会社に徳や誠実があるとしても、カネでしか表現できないのは、しょうがないことなのかもしれぬ。