菊池寛と大衆

むしろ逆に考えて
大衆が喜ぶものを
喜ばしい配置で
詰め込んだらどうか
そう考えると
菊池寛に近い考えになる
しかしこれは
大衆が成長しないという前提に立っている
昨日見た大衆が
明日は違う
見違えるほどの傑物になっているということは
ありえないという考えに立っている
大衆を侮っているのである
それくらい簡単に大衆を
ハンドルできると思わないとできない
歴史をひもとくと
日本における多衆は
相当にだまされやすかったと言えそうだ
怒るにしても
突発的に怒るだけで
怒りを蓄積するわけではない