大衆はそれほど賢くはならない

依然としてだまされつづけるし
いいようにされる
なぜなのか
大衆が賢くなったとしても
その賢さは先んじているわけではない
大衆は最先端を行くものではない
やや後ろでいつも遅い賢さなのだ
大衆はいつも進歩に遅れてしまう
それゆえやられないと気づかないし
やられてもだまされると気づかない
科学という問題もある
科学が日々進捗することで
進歩が馬鹿げたまちがいにならず
偉そうにしていられるようである
仮に科学以外の進歩ということを考えると
何でも言えそうで
案外これというものもない
どこかで進歩には科学が関係している
ところで大衆はいつでてきたかというと
同時多発伝達装置ができて
音や映像が同日同時刻に
大量の人間に伝達されるようになってからのようである
文字は伝達される速度が
人それぞれであり
本が大衆を生んだわけではない
ならばやはり
小説が大衆と疎遠なのも無理からぬ話かもしれない
もっとも
大衆をこれと定義できない以上
どうもしっくりこないが