オクシデンタル(西洋)について

occidental といえば、asia に対して西洋を意味することばである。
知識としてそれは僕は以前から知っていた。
大学で歴史学の教授がそれをしたり顔でいって、僕は知らなかったので憤慨してしっかり暗記していたのである。
昨日勉強していて、occipital(後頭部)という単語を見た。
ということは、occiという語幹に、後ろという意味がありそうである。
世界地図を平面としてみた場合、人の横顔をそこにひきのばして影ずるとすると、
右側に鼻が来るという考えを西洋人はするのかもしれぬ。
よくよく思い出してみたら、西洋古代におけるコインは、人の横顔であることが多い。
しかもそれは、ほとんど右向きに向いた横顔である。
そこから考えると、後頭部なのはたしかに西洋なのである。
ここいらに何か西洋における文化的な要がひとつあるのかもしれぬ。

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もう少し時代をまたいで考えてみると、西洋人における開拓は常に東に行くことであった。
ところが、アメリカに行ったメイフラワー号は西に向かった。
そこから近代における自由という概念が生まれたといってもいいくらいに西に行ったことは重要なのかもしれぬ。
アメリカの東に入植した者たちはどんどん西に行った。ところが大海があったのでハワイで止まった。
そこから日本にぶちあたったといえなくもない。

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日本においては、西に行く東に行くということはそれほど問題ではないと一見思われる。
ところが、日本人は意外にも国際的空気を読んでいたようであり、誰が言うでもなく東に行くことは尊ばれたようである。
平安時代ごろ貴族たちは東下りといって嘆いたりしたようだが、西下りともなればお話にもならない。
完全な破滅または死を意味したようである。
室町時代くらいになれば西に行っても終わりというほどでもなくなったようだが。
(ちょっとここらへんはよくわからない)
奥の細道は東に行ったのである。
西には行かずじまいであった。

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まだ未整理であり、もう少し掘り下げるべきテーマかもしれぬ。
東西観ということである。

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インターネットなどのサイバー世界では、東西観が消失する。
方向感覚を失う人が増える可能性はある。
しかしもともと、資本主義は方向感覚をほとんど織り込まないのかもしれぬ。