「あなたがたの敵を愛しなさい」

キリスト教のわかりやすい標語のひとつであるこれは、敵を敵と認識することを改めなさいとは言っていない
敵は敵なのだ
敵を味方と誤認識するようなことはありえないという考えがあるだろう
敵を敵だとする認識を誤らず、敵だとわかりながら許容度を上げなさいと言ってるのだろう
僕に言わせれば、誰かを敵と認識すること自体が悪いことのような気がしないでもないが
敵だと思うことから愛にはなかなか向かわない
わざわざ矛盾することを言ってしたり顔をしてるような気がしないでもない
「敵などいない。全員を愛せ」と言えば良いではないか
それで攻められて滅ぼされるなら天運である
というようなたわごとを言い出す人を生まないためにも、世の中を厳しめに見て、
敵は必ずいるが、敵を愛しなさい、といったのだろうか
だとすればキリスト教は、かなりな程度現実的である
理想だけではない