漱石小説における詩の位置づけ

古代東洋的な詩の意味のときと、近代西洋的な詩の意味のときが混同することがよくある
おそらく、読者がわかってないだろうからとついついやってしまったのだろう
ところが、作家の甘えや手抜きは、後で必ず明らかになる
詩を扱うときは、自作の詩か、引用詩をもってこないとだめであろう
漠然と詩、とやっては駄目である
「よく理解がついておらずに日本的な意味での詩」を扱う登場人物を描いてもよいが、あとで必ず詩とは何か考えさせるべきだ。
わからないまま終わらせるのでは、読者がいつまでも蒙昧なままで終わってしまう。
漱石作品では、逃げ道としての詩がよく出てくるが、迷宮としての詩、拷問具としての詩、のほうが詩の本質だと僕は思っている。