漱石小説における悩みの特徴

思想上の難題にとりつかれているような登場人物を描くものの、その難題はただの不器用ないしは要領の悪さからくるものであったりする
明治時代にはちらほらいたであろう、西洋思想家にかぶれる人物というのは漱石作品には出てこない
あくまで、彼らは西洋思想家の文言を引用や参考にするくらいのことしかせず、思想に没入はしないのである
器用なものが持ち前の器用を徹底した先にある難題というわけではないのである
ひとついえるのは、漱石小説に出てくるプロタゴニストたちは、ほとんどが教育済みな人間である
独学で何かを発見したり、究明したりするような人間はいないと言ってもよい
教育という護送船によって運ばれていく人間たちが、教育という下敷きの上で悩まされる姿が書かれている
それは、悪戦苦闘というより、困惑呻吟といったような種類のものであり、もっぱら内心での悩みだ。その悩みが何らかの爆発的行動に結びつくことはほぼない。あっても、小説構造上の必要性から、当該人物が立ち消えになるくらいのことしか起こらない。
効率的な悩み方をしようとして、効率がどこにあるかわからず悩んでいるようにも見える。
一言でいえば彼らはぐずだが、ぐずと言ったほうが彼らより教育に乏しければ、ぐずよりぐずということになるのであり、そういったどこまでも読者が後退していかざるをえないという、卑怯な手法を漱石はとったともいえる。
読者がどんどん前進していってしまいには漱石に張り手を食らわすようなことは、漱石作品読者においては起こってはならないことになっているのである。