では面白がる主体である読者とはなんなのか

読者は金を本と交換し
面白がることが許される
面白がることはひとりですべきことであり
本を読むことは自分のための体験であることがまずある
それは個人的体験である
それを共有するとなると社会的体験になる
さて読者はおもしろがるわけだが
果たしてそのおもしろがりかたは正しいのかどうか
道に外れていないのかどうか
へたをすればまったく間違ったおもしろがり方をする読者が現れんとも限らない
そのような読者は異端なのであり
追放されるべきものであるが
いっぽうで読者は多ければ多いほどいいわけである
となれば異端的読者を改悛させるような
説得がなければいけない
その説得が批評なのだろうか
であるなら批評はpodiumから述べられるものである
そのような批評には自ずから威信がある
愚かさではなくて慧眼がある
衆愚ではなくて独賢がある
そうなると批評家を見ればその国なりコミュニティの賢さの構造がわかる