なぜ「お汗」と言わないのか

「汗」という言葉が共産主義的で、科学的なのである
見方を変えれば、汗には人格が負わされないのであろうか
「無駄足」「無駄骨」とは言うが、「無駄汗」とは言わない
「汗」そのものに評価はくだされないようである
誰の汗だから偉い、偉くない、ということにはなっていない
どのような汗だから偉い、偉くない、ということになっている
しかし汗には人格が負わされていないことはすでに確認した
ではどのような格が負わされているか?