ぼくは自分の文学を毀しすぎた

つまりぼくはなにかというと
文学を自己破壊することで
新たな真の文学が生まれることを目論んでいたが
予想以上にやりすぎたために
もはやシャタードしてしまったのである
これは破片を組み合わせていては間に合わないので
一から新たにやるしかない
ところが一の場所がわからないのであって
これはゼロがわからないからはっきりさせようという
フランスのある思想家の地点と同じなのである
かれは熱量でそれを測っていて
それは科学的知見なのであって
ぼくはあくまでも目視による距離でゼロを測りたいのである
ところがぼくの目というのは
人の目でしかない
人の目に神が宿ることはないのであって
目による神的理性の実現は起こりえないのである
とくに日本の場合
見たものをそのまま書くのはばかものであるという風潮があって
たしかにそれは一理あるのである
なぜかというと日本がみせるものというのは
日本がみせる人工物というのは
つきつめるとボロが出ないものはない