身体論を本当にやるんだったらあらゆる病態が現実ではなににあたるか説明しないとダメなのではないか

ところが、身体論の人は容易に説明できるところにだけ身体論を持ち出してくる
フランス哲学者がたとえば「器官なき身体」と言ったらこっそり物陰に隠れて聞いていて、うまいことこれを利用しようと思うのがまず先に来る
そして、軽く当てたあとはとんずらしようという気なのである