虚しさというのが、個人主義的でもあるのである

個人として感じられる虚しさというものを日本現代社会はうまく利用しているようにも思える
たとえば民族的悲哀であったりするのではない
そういう虚しさではない
統計なり分類なりによって運ばれていった先での虚しさであろう
資本主義社会における虚しさは、つきつめるところ「金がない」に尽きる
そういう意味では深みのない即物的虚しさである