アメリカなるもの

アメリカなるものが
僕に次々に入ってくるが
いっぽうで日本なるものが
僕を次々に引っ張り込んでいる
僕はアメリカでも日本でもない
理想的浄土のような所にいたいのだが
生きているうちはそれもかなわぬ
ところで僕は少しは日本がわかったかもしれぬ
それは甘え・依存の国でも放逐・懲罰の国でもなかった
無言強制参加と精神的サボタージュ労働の国である
精神的サボタージュというのは
労働をしている際には精神が高まることが著しく抑制もしくは精神を減ずることが要求されるからである
日本的労働はなんらかの型にはまることを強く要求されるのであり
型の新旧はあったとしても
原型は変わらないのであろう
とすれば日本で生き続けようとすればかなりな程度鈍感ないし冷血症であることが求められるのだが
面白いことに
鈍感であるべしとされたにもかかわらず一定の共通圏における共感においてよほどセンシチブであることが求められるのである
そんなものが国際人であるはずはないのである