脱価値化の問題 続

脱価値化が陳腐だと言ったが
構造上そうなる尤もな理由がある
脱価値化というものがまともな大人たちが評価したすでにあるものを取り扱い
それを脱と言えるほどには暴力的でない方法で
価値だけをえぐりとろうとするので
暴力的でない以上どうしても筋道は立つことになり
経過はどうもぱっとしないし
低劣な人間がやっかみや妬み嫉みから
価値あるものを引きずり下ろそうとしただけに傍からは見えるのである
また脱価値化は資本主義との折り合いがよくない
資本主義は価値が併存多様化し複雑化しより蔓延するようにいつも強く望んでいる
ならば資本主義に抗しなければ脱価値化が進まないということになりがちである
ゆえに脱価値化は脱価値化よりも陳腐ないわゆるイデオロギと結びつきやすいのである
ところが脱価値化は不偏不党な立場からでなくては難しいのである
唐突だがぼくが思い付いた警句じみたものを最後に述べよう





−−脱価値化の真価