性欲と国家のおこり

性欲はくだらないし女の神性を貶める
かといって世の全員がいもしない女の神性を崇めていては
国家の行く先が不安である
しかし人間は国家のために生きるわけではない
人間ありきであろう
ところが国家は人間より先にある
ゆえに国家のほうが本家本元なのであろう
しかし本家本元性というものが国家にあるとして
ではその国家はほんとうはいつどこで発生したのか
この発生を勃興というのであろう
勃興という二文字をクリイバアすると勃と興
英語で言うとライズアップという意の二つであろう
それはある地平面からなにがしかの契機によってそれがいづるということだ
そこでは地平面が意識され
地平面をただしく知覚するには平衡感覚が大前提である
ならばそこは生き物それも動物の世界であろう
ここまでたどればつまりこういってもよいということになる
国家は動物のものであると
こう考えてみるとよい
植物が平衡感覚をもつかと
植物が平衡を自覚するかと
感覚とは不思議なもので
一動物である人間が各自にもって
個体間においてゆるやかに共有されているのである
ところがそれは共有されているというより
強制されている側面が強い
ということは感覚ということは
実は個人的なものというよりも社会、国家的なものなのである
このことはかなり巧妙に隠蔽されているようにおもう
とくに日本においては奨励されている感覚の雛形が暗に音もなく喧伝されていて
特にマイノリティーに属されている個人において
雛形を矯正されている度合いが大きいとおもう
その雛は声がバルバロイである