アメリカ文学と絶望

アメリカ文学はどうも絶望を書かないし
書けないようである
なぜかと僕は考えた
そうするとこういう結論になった
プラグマティズムの国であるアメリカは
絶望というものを空想的状況ととらえ
それを肯んじえないのであり
著しく不利というくらいにしかとらえないのである
そこから考えると黒人差別問題においても
いずれは解決されるべき問題と最初から予定されていると言えなくもない
つまりは恰好の改善点ということである
ならば日本にそのようなアプローチが入ってきてもおかしくはない
それにしてもアメリカ人はどうしても行為をしたがる
僕はそのような行為志向とアメリカのダンス文化を強く結びつけるべきだと考えている
ヨーロッパ社交界におけるダンスがただ大衆化一般化してアメリカで爆発的に広がったと考えるべきではないと思う
アップダイクがさまざまな肉体的運動にひじょうにこだわることは
一般的行動を考えているからだろう