在日の中国性

在日といっても、朝鮮か日本か、だけではないのだ。
どうしてもそう思いたくなるのだが。
中国の要素が入っていることがあるのだ。
朝鮮は李氏朝鮮の間、1392年から1910年まで鎖国をしていたわけであり、それが在日の中国性を観念できなくしているのは確かである。
しかし、当時の海運通商の動きを考えれば、朝鮮に中国の技術者や文化人が流入していたと考えても不思議ではない。
そういう広がりを考えなくてはいけない。
狭く考えるだけではよくないのである。
かといって、では朝鮮も日本も中国の冊封体制に入れてもらえばいいかというと、それも違う。
ただ、ふつうの流れでいけば冊封体制に入ることになっただろう。
そこに異常な圧力を加えないと、中国の影響からは逃れられなかったのではないか。
しかしその圧力によって、人々の考えが、一般的な意味での抽象的な人間関係の意識に及んだときに、よくないことが起きることもありうる話ではある。

さて、鎖国は不徹底だったか。
そこが問題になる。
朝鮮が中国からの人々の流入をはねのけたかどうか。
李氏朝鮮の政権内部では排斥的だったとしても、民間の人間、とくに海沿いの人間が日常的に交流していたかもしれない。
それを政権が禁圧的に処理したかどうか、である。
ここがどうだったのかわからない。