DEATH BY THE WATER
イギリスの詩人Tエリオットの詩である。
これがギモンだ。
日本では、水死と訳される。
水によって死す。
ところが、イギリスでは、水のせいで死ぬ、という感じのように思える。
自然というのが、イギリスでは、ちょっかいを出してくるもののように扱われる。
日本では、自然とは、自明というふうにみなされる以前に当然化している。
自然の猛威・・・
それに対しては逆らうすべはない。
自然による死は甘受するしかない。
だが、死だけではない。
生も掌握されている。
自然による生死の掌握、というのが日本の特徴のように思われる。
水、というのが十重二十重にある自然の現実上の要素のひとつであり、それによって死ぬならばよし、ということだ。
全ての死はよいのではないか。
日本では。
ということに、さっき思い至った気がした。
全ての死がよい、のであれば、あえて忌み嫌い、隠す必要が出てくる。
つまるところ、死ねば順調、なのだ。
あとはどこが死の担当部門になるか、という話である。
なんかヘンなのだが・・・