サロンがあって

そこではデビュー前の作家の卵たちがいて
ああでもないこうでもないという議論
フランスでは
ぼくはきちがいだと言われたがこの絵で外に出られたんだよと
笑みを浮かべて立派な絵画の作品を出してくる人がいた
という
僕はサロンでながつづきするとは思えないが
一度顔を出してみたい
それで安からに逝ける気がする
あの有名なサロンで
僕はあの人たちに会ったことがあるのだよと
自分に言い聞かせることができる
ところが
Sさんやこないだ亡くなったIさんも言っているが
日本にはサロンがない
ところが文学喫茶はむかしあった
それももうない
ならば誰かに作って欲しいが
叛乱とみなされるのではないかと
思うのでそれはないだろう


はっきりしているのはひとつ
我に芽なし
かれらにのみ芽あり
息吹あり
我に将来なし
ところが
有名な過去の詩人は
将来などけほども思わない人が多かった
とすれば
私のように
将来におびえるのは
詩人として最悪の態度だと思わねばならぬ・・・!