娼婦について

One guy stands out like a whore in church.
「ある男が教会にいる娼婦のように目立っている」
欧米では娼婦が目立っている。
日本では、娼婦はいないことになっていて、当然目立っていない。
国は娼婦を全く公認しない。
ところが、いわゆる娼婦はまだいる。
しかしそれは、娼婦なのではないのであり、売春婦である。
売春をやる人は違法にはならない。
売春あっせんは違法なのだが・・・
売春自体は個人の自由な商行為のひとつであるようだ。
性的サービスのかわりに対価を受け取るということは、他のサービス業と比べて特段違った点はないはずである。
同じことが行われながら、欧米では娼婦がかくも目立ち、日本の娼婦は目立たないのだ。
日本の娼婦の目立たなさというのは、ある種異様である。
国が認めるか認めないかでこれほど文化的状況が変わるというのは、日本文化の底が浅いということなのだろうか。
いやそんなはずはない。日本文化の歴史は深いはずなのである。
ところが、連綿と続いてきた遊郭文学はぷっつり途絶えたのである。これはどういうことだろうか・・・