比較可能性と偏差値

比較しうるものの間では偏差値が用いられてしかるべきである
部落を偏差値化したらどうだろうか
しかしそれは暴論だろうか・・・
よく考えたら、部落は各部落において独自であり、比較可能性はないようにも思える
それが地方自治と接続している気がしないでもない
「地方」自治と、「地方自治」は違うのかも。
ここが難しいから地方自治は難しい。
地方の独自性を出すにあたって、他の地方を出し抜くような訴求力をもつものを出していけばいいのだとすると、他の地方ももっているようなものは出せないということになる。
それは、地方が持つ共通の善きものを出せないということである。
共通のものを出さずに独自のものだけをアピールするというのは、初期段階ではいいかもしれないが、早晩社会は独自のものであふれてパンクするのではないだろうか。
社会が独自のものを欲しているとしたら、その欲する量は一定量であり、ある程度を越えると許容量を越えると思う。
次は、その許容量がどのようにして決まるか考えねばならぬ。