人のほうが民より上?

人が集まって民になったら人を下回るということは、衆=愚ということか?
ならば、集まっていながらひとりの人のように意思が統一されていれば、それのほうが多事争論な集まりよりは上だということになるのかもしれぬ。
どうやってそれが実現されるかというと、議論によってではなく、呼吸によってなのかもしれぬ。
呼吸というものは自然な行為であり、自然な行為によって特別なことをしなくても統一されうるということがあるのかもしれぬ。
しかし、それが自己の律によってではなく、他の律を模範にしてそれとなく成し遂げられる統一なのだとしたら、それにはやはり幼稚さがある。
その幼稚な統一に従うものは、さらに幼稚さを前もって深めておかねばならず、それが礼儀なのだろうか・・・
ところで礼儀とは、なにか。
礼と儀。礼節と儀式。
ふたつとも様式なのだろうか?
様式美・・・
では、様式醜は?
醜さとは様式なのだろうか?
脱様式なものが醜さのような気もするが・・・