霊がうらみごとを言い出したときに叱る霊が出てこないのはなぜか?

言いたい放題にさせていいのだろうか?
キリスト教なら、うらみごとをいう自分は人間がなっていないということで、しまいには反省させられる。
また、どんなひどい目に遭っても、神の試練として耐え忍ばないといけない。
見方を変えれば、能でうらみごとを言う霊は、侮辱や屈辱をまにうけるということでもある。
人並以上にまにうけたあと死んだからうらみごとが出てくる。
それは行動力のなさに起因していることも多い。
ほかの何事かでそのうらまないといけないようなことを昇華する努力もしてこなかった。
かれらは生前、怠惰な神経症だったともいえる。
それがなぜ芸術たりえるのか。