貧しい生活をさせようにも貧しすぎて生活が成り立たないパターンがありうる

それこそが、日本における伝統的治世において、避けるべきことのひとつである。
だからそこに政治財が投入される。
貧しくなったときに庶民金融があって、そこから金を融通してもらえるということが貧民にはあった。
しかし、現代には、それがよその資本の金融屋によってつぶされるということがあったようである。
庶民金融はその地場に根付いている。
伝統的庶民金融である。
しかし、それは資本主義から見れば、未統合の弱小な金融屋にしかうつらない。
こと金に関して言うと、資本主義にはお目こぼしはないのである。
質屋(pawn shop)にしても、最後には巨大チェーン店になるのが当然である。
ところが、欧米の映画を見ていたら地方に質屋の巨大チェーン店は出てこないのである。
そこは、資本主義研究から、突っ込んではいけないということになっているのかもしれぬ。
欧米では、地方というものが反発するということもあるのかもしれない。
日本では、だいたい地方はlameであることが多い。