idolater

偶像崇拝
・・・
神を崇めることは偶像崇拝ではないのか
むしろ、崇めようとすればたしなめられるのだろうか
・・・
イスラムには偶像はない
だったらイスラム教徒にはidolaterと言えない
・・・
映画では、麻薬ビジネスに一生懸命になっているギャング団のボスに対して老爺がidolaterであると言って叱っていた
金を崇めることを叱っていたのだろうか
麻薬という悪魔的なものに対して服従している姿勢を叱っていたのだろうか
・・・
例えば、盲人のギャングがいて、彼が麻薬ビジネスを取り仕切るボスだとしたら、彼は目が見えないので偶像崇拝のしようがない。
しかし、頭で理解して偶像を心眼で見ていたとしたら、それもやはり偶像崇拝になるのだろうか。
それが偶像ではなくて麻薬であり、麻薬についての知識があるならば、かれは常人と同じくらいに責任があると言えるだろうか。
・・・
それはともかく、idolaterということについては、質素であることが必要であるように思える。
金を必死で稼ぐということ、それは質素であることから遠のく。
それはidolaterへの道である。
ところがカルバン派はそうは言わなかった。
思いっきり働いて、生活は質素にしつつ、金は貯めてもいいというふうに言ったようである。
しかも、その思いっきり働く、の部分は世俗の仕事をするということのようである。
神に奉仕する仕事、ということではないようなのだ。