a dance with the death/devil

西洋文化には死と踊るというような考え方がある。
マカーブルというのもあるし。
死とホットデートする、という言い方もたまにある。
死を人に置き換えて考えるということがあるのである。
一方日本は、それよりもっと厳粛である。
死を厳かに受け止めようとする。
冗談でも、死と踊ったり、というようなことは考えない。
だいたい日本の幽霊は、見えるか見えないかもわからないような域にいる。
死と踊るということは、少なくとも確実に見えているし、体をつかむこともできる。
日本の幽霊が、そのように受肉化するということが考えられるだろうか?
どちからというと、日本の幽霊は、肉ではなくて精ではないだろうか。
精神という意味での精。
日本の幽霊は、死んだにもかかわらずその人の精神が現れることが恐ろしいのではないだろうか。
逆に考えると、その人の精神には一回性が強く求められているとも言える。
しかしそうなると、精神を現させたくないのだろうか?
だがそのいっぽうで精神論はまかり通っているのである。
姿かたちの恐ろしさは、おまけみたいなもので。