That makes one of us. 

That makes one of us. 
という時がある。
一人が何かわからなかったりできなかったりするとき、もう一人が助けてあげるときに言うことば。
日本人なら「じゃあ僕がやります」というところ。
ところがアメリカ人は「僕たちの内の一人である僕がやるところだ」となる。
わざわざそういうことを言う必要はないように思えるが、常に関係性を再確認するというところがアメリカ的なのかもしれぬ。
それは、アメリカにおいては関係性がいつでも壊れたり変化したりしうるからなのかもしれぬ。