太宰の入水と川端のガス自殺

太宰が女と入水したことで、川端が心中することはできなくなった
二番煎じと思われる
しかもみんなが忘れたころの二番煎じだ
太宰の入水自殺は川端に対する復讐という考え方もありうる
川端を困らせるためには
そのやり方が最も効果的である
お前のせいだぞ、と天下に示すわけである
それに対して、生きている文壇仲間は「いや君のせいじゃないよ」とオウム返しのように言い続けるだろう。
まさにそのことが、川端のせいであることを立証しているのである。
それが太宰の狙いなのかもしれぬ。
しかし、それほど人が人を恨めるのだろうか?
たかが文学賞で。
そこが難しいところだ。
酷評したとしても、次の評価がよくなる可能性が大きいということでもあり、
それほど悲観することはない。
太宰ほど世間の評判がよければ、文学賞受賞を逸したからといってそのまま消えることもなかろう。
それとも太宰は一番でなければ気が済まないたちだったのだろうか?
だが、その文学の性質からして、一番になれるわけがないだろうに。
研究は中途半端だし考証もいまいち徹底されていない。
文学作品としては、二流の域を出られないのである。
太宰は、正直言って、大衆作家にしかなれなく、芸術にも完成にも至りえないのである。
未完で未熟だからこそ受けているのだ。
性交をまっとうにやりおおせる文学者の限界がここにあるのかもしれぬ。
文学を性交のようにやる、繰り返し性交的文学を死ぬまで書ける、ということは、
自分を蒸気機関のようにする、ということでもあり、それは自己の近代化でもある。
ところが太宰は因習を背負っており、究極的には自己を近代化しえないのではないか。