なぜ死刑を描けないか

死刑になるってことは、よほど大それた社会を紊乱させるおおごとをやらかしたのであり、死刑囚になるようなろくでなしのばかものを書くことは作家にとって堕落である、という考えがあるからであろう。
作家が書くのは少しはましな人間である。
もしくは、逆に、ピカレスク小説のような形で悪人を書く。
実は、両極端なのである。
どちらも、遠いところにいる人間を書いて満足する態度である。
松本清張などは、近いところにいる人間を書いているように見えて、実は大衆が自覚すべき大衆像を書いている。
それはなかなか高度なことであり、褒めるべきところはあるものの、大衆を高めるというところには至ってはいない。