自己批判がむつかしい

日本人には自己批判がむつかしい
なぜなら自己がはっきりしない
自己めいたものを批判すると、それすなわち体制批判なり、自分の帰属する何かの批判になってしまう
それは自死に等しい
ゆえに自己批判をしない。できない。
自己批判をしないで何をするかというと、外面に対する反省ポーズをする
しかしその反省ポーズをどうやってやるかというと、反省ポーズの有職故実に従ってやるわけである
そこには、何らかのクリエイティビティは働かずに、脳における仮死状態を現出させて形式的に事をやり過ごすだけになってしまう。
しかし、この現在の社会においては、やり過ごせばやり過ごすほど機会が逸失されて、そのやり過ごしをやった個人なり組織なりはツケを背負うことになる。
となれば、次はツケをどこに押し付けるかという話になってくる。
そうなると、ツケの墓場みたいなところが用意されなければいけなくなる。