或中年Y一日奮闘記 (1)

 「どうしたって僕は資本家はいやだし資本家のラッキイがやっているようなものはやだよ」
そう言ってYはおならをした。それとともに便意がやってきたようなので、Yはそそくさとおトイレに行って用を足してみたりしたのである。
「出たけど変なのが今日は出たみたいだな。出るには出たけどね」
Yはそれから便の行く末を想像してみた。
おそらく、近代的発達を遂げた下水管が、下水処理場まで”汚物”を運び、運びだされた”汚物”は何らかの濾過作用の後に最終処分場のようなところに行って与えられた名前としての最後を遂げるのであろう。
いわば便のターミナルがあるのである。
「そう考えるとうんちも近代から自由というわけではない!」
Yはしばらく口をあぐあぐさせたあと、とっさに腕組みをした。考える時、Yは腕組みをする癖があるのである。なんといってもこうやればサマになる。
「うんちが自由じゃないということは、うんちが人間の不要物を濾し固めたようなものであるとすれば、まあ、ここはひとつ、飛躍してしまって、うんちを意図すべからぬ内部的反抗精神の随伴物と考えるに、それすらも、あらかじめ、ハイジィンという美名のもと、都市設備、広く言えば近代インフラによって、顕現すると同時に処理されるものとして、”あらかじめ”想定されているということにはなる。しかし!」
ここでYは軽く飛び上がって見せた。エピファニイを得たという演出のために、彼はこうやって、”躍り上がる”ことがある。
「問題はそこにはなく、うんちを考えることによって、僕は少なくとも、頭脳に障害を持っているか、あるいは、精神に変調をきたしているか、どちらにせよ、”不健康”であるとされるが、そのじつ、ほんとうは、”不衛生”であると考えられるであろうことにある。”健康”が”衛生”にとってかわっているという現状がある!」
それだけいうと、彼は急に眠くなって寝てしまった。Yは眠かったのである。ナルコレプシイである故。