純粋さ

僕はいつもこれ以上の純粋さを求めているが
それを自己に帰属させることに違和感を大きく覚えるのである
なんでこの俺が純粋でありえるのか?
この陰茎のまがまがしさ!
そしてこの眼球のぐるぐる動くさまよ!
手はさまざまなものを握ったりついたり撫でたり
なんと不必要な動きの多かったことか!
いっそばらばらのパーツにでも分離すれば罪業も重ねずに済もうに
しかし僕は僕の身体運動に対して
同業他者と同様であるということを
ひそかに期待するものでもある
どうせほかの誰かもやっている!
こうやってずるずる悪癖が続くのである
断ち切るのだ!
しかしそれは仏道という方向に行くと苦行であり
餓鬼道という方向に行くと放蕩である
いずれにせよ分類済みの行為なのである
だがそれでも僕は何も新しいことがやりたいわけではない
老哲学者のエッセイで読んだが
僕は幼児にかえりたいのかもしれない
それくらい今の僕は素直である
しかし素直の方面が悪い方にいかないとも限らないのである
そういうときに導いてくれという先が日本型宗教にはなかなかないのであり
アレよりマシでありたいという方向にどうしてもいってしまうのはなぜかな?