要素のひとつによって世界が崩壊するかどうかということ

要素がひとつ偶然にも破壊力を持つかということである
現実上では放射性物質というものは内なる破壊力を秘めていたりするらしい
日本語においてはどうか
僕はすべて等価で平等だと思っている
なぜ日本語においてののしり言葉が発達しないかというと、50音をどう組み合わせたとしても汚くなりきれないからではなかろうか
日本語における世界把握はどうしたって性善説なのであると言っていいということだろう
とびきりこねくりまわして言葉を連ねようがどうにかなるわけがないのである
ならば僕はもっと大胆になってもいいところである
気兼ねしようがたいした影響はないのだから
だが、原理上そうだとしても実際上そうだとは言えない
だから配慮はしないといけない