可能なことがら

可能だった悪しき行為に分類されるようなことがらを、あれこれ思い返して考えたが、実際にはやっていないということを、混濁した意識で朦朧としながらも抗弁する自分が、いやになったということ? この場合自分の混濁した意識がいやなのか、それともなしえたが偶然やらなかった悪しき行為あれこれのほうがいやなのか。前者なら未熟なおのれの精神を憎み、後者ならそのように仕向けた社会に感謝しつつもそれ以上に憎むことになる